★2006/03/19追記

2006年1月10日の本庄市との合併により各団体、役職においては変更されている部分が御座いますが、

本書においては当面、旧児玉郡児玉町における内容を掲載させて頂きます。

◎児玉祇園夏祭り(八坂神社例大祭と付け祭り)

児玉夏祭りは、児玉の「総鎮守東石清水白鳩峯八幡神社 」境内に祭られる京都 八坂神社のお末社である八坂社の

お祭りであります。

児玉夏祭りについては、いつの頃より始められたもなのか文献などの資料等が残されていないため定かではないので、

近年より現在までの祭り形態について記載致します。

 

八坂祭りとは、牛頭(ごず)天王(和名:素戔鳴尊(すさのうのみこと))をご祭神として都市部を中心に普及した祭りであり、

特に高温多湿で流行病が集中する夏期に、それら汚れの災厄を除去するために行われた祭りである。児玉町は、古代より

文化が普及した地であり、近世には中山道脇往還として栄え、また繭の生産及び集散地としても栄えた経緯があることか

らも、地方の町境としてこのような祭りが盛んに行われたものと思われる。

本来夏祭りは、七月十三日より十五日までの三日間に とり行われていた。

昭和初期までは、十三日の宵祭りに各町内に会所が設けられ、八幡神社の蔵へ納められている八坂神社宮神輿(牛頭天王を

御祭神として担ぐため、別名天王様と呼ばれる)が運び出され、旧八町の氏子らによって八坂神社より宮出し渡御が行われ、

引き続き各町内をその町内の氏子ら によって渡御された、これを地元では「町内送り」と称している。

この町内送りに際して、他町内へ宮神輿を引き継ぐのを少しでも引き延ばしたい各町内の思惑のために、最後の町内へ引き

継がれるのは、翌日早朝になることもしばしばであったと伝えられる。

翌十四日に宮神輿は、仲町へ設けられた「お仮屋」に安置され、当日町へ訪れた人々を始め多くの人が参拝に訪れたと言わ

れている。

十五日は本祭りで、初日と同じく宮神輿をお仮屋より町内送りを行った後に、八坂神社へ宮入還御し祭りは終了する。

また、時代によっては旧八幡山町に鎮座する種油神社の宮神輿(八坂杜)を、旧八幡山町の長浜町・鍛治町の各氏子に

よって、渡御に参加していた時代もあったと伝えられる。

その後、各町内ではそれまでにあった子供神輿を改造したり、新たに神輿を製作するなどして町内神輿を設けて十三・

十五日の渡御に参加するようになり、八坂神社宮神輿を渡勧に出す機会は少なくなったが、それでも下町の町内神輿が

でき上がるまでは、下町の氏子によって渡御へ参加していた時期もあた。そして現在八坂神社宮神輿は、祭りの期間中

八幡神社能楽殿へ安置されるようになった。

次に、現在の夏祭りは七月十三日以後の日曜日に行われるので、ここでは 現状に至るまでの経過について述べます。

現在夏祭り町内神輿渡御については、神輿渡御連絡協議会(各八町内青年会役員五名以上で構成し、別名連合青年会と

称する)が中心となって運営する。この協議会会長は各八町内一年ごとの持ち回り制度「年番制」である。

各町内では、四月頃より夏祭りへ向けて青年会が中心となって準備を進め、五月より七月初めのまでの約二カ月間に、

数度に わたる連合青年会会議及び町内会議が持たれる。内容については、祭りへ向けての各町内の意見や、取り決め

事項の確認等である。

六月の末から祭り直前にかけては、児玉町役場関係者を始め各八町内区長・青年会役員その外を含めた全体会議である

、実行委員会会議・夏祭り打ち合わせ会議が行われ、夏祭りへ向けての最終確認事項及び質疑応答が行われ祭り本番に

備える。同時に七月初旬には八幡神社社務所に於いて、八坂神社例大祭・付け祭りへ向けての会議が宮司を始め各町内の

氏子総代・行司・青年会長らを交えて行われ、十三日の祭典及び付け祭り当日の渡御発輿祭等についての確認が行われる。

十三日は、本来の祭典日であるため午後一時に 八幡神社へ各八町内の氏子総代及び行司・青年会正副会長が集合し、

八坂神社宮神輿を蔵より運び出し能楽殿へ安置し、神社境内を清掃した後八坂神社例大祭が厳かなうちに行われ、

終了後には引き続き直会が行われる。

 

○宵祭り・本祭り渡御出発前後の日程について (各町内によって違うためここでは、一般的なものを述べます。)

宵祭りでは、町の役員・行司・祭典委員・当番氏子・青年会らの人によって、会所作り・町内神輿の手入等を行いその後、

青年会によって町内くまなく祭域(結界)を設けるための注縄・幣束(一週間前に青年会によって製作される)張りが

行われ準備を終了する。

終了の後に、区の役員・行司・青年会員らが会所に詰め、夕刻には八幡神社に於いて八坂神社の御神体拝受が行われ、

青年会長が御神体の拝受に伺い宵祭りを終える。

本祭り当日は、午前七時前後に青年会員が会所前へ集合し、切り出された竹(祭竹・八本)を町内境の四箇所へ結界の

入り口として設け、その際竹の穂先下には注縄と幣束を渡し付ける。

竹の飾り付けが終了する頃には、会所も開かれ朝食となり朝食後は直ちに町内神輿の阻みつけ準備を行う、そうこうす

るうちに神主が巡拝に訪れ入魂式となり、関係者一同打ち揃うなか厳かに行われる。終了後は、青年会・祭典委員が

中心となり町内神輿の観みつけ作業に移り渡御に備える。作業終了後は早めの昼食となり昼食後は、各自三々五々

自宅へと戻り法被姿に着替えた後、再び会所へ集合し正午の渡御に出発する。

 

○各町渡御の順路は以下の通りである。

まず各町内を渡御した後、八坂神社へ宮参りに向かい 八町の神輿が一時三十分頃までに集合する。

集合の後は、八幡神社本殿前に於いて八町内の青年会役員が一同に会し、連合青年会長の音頭取りにて 各青年会役員

挨拶を行い町内送りの確認等が行われる、続いて八坂杜の神前に於いて渡御発輿祭が厳かに行われる。

終了後は、八町内打ち揃っての宮出し渡御「町内送り」が以下の順に よって行われる。

順路は、本町連雀町新町 ⇒ 仲町上町 ⇒ 鍛冶町 ⇒ 長演町鍛冶町 ⇒ 上町 ⇒ 下町 の順にて、

各八町内の会所を巡りながら渡御する。その際各町内の青年会長は、各会所前に一同に会して挨拶を行い、続いて

手締め「児玉締め」を行なった後次ぎの町内へと向かう。

最後に下町にて休息した各町内神輿は、自由解散となり各町内へと帰還し昼の渡御を終了するが、その際にも町の

辻では早くも各町内神輿どうしの観み合い(御祭神素妻皿鳴尊は、人々が暴れるほど喜ぶと言われていることから

暴れ神輿となり、かつては商店の中まで神輿が揉み込んだり、あるいわ各町内神輿どうしの御神体を奪あうという

事態もあった。)が行われる。

町内へ帰還した神輿は、担ぎ手たちの夕食となるためにしばしの休息となり、その間に各町内の青年会長は午後

五時半より露店の出店状況を 確認するために本部前に集合し見回りを行う。

夕食後の午後六時よりは自由渡御となり再び町内渡御をした後に、町の表通りへと繰り出し「暴れ神輿」となって

通りを揉みながら、他町内の神輿と観み合いを行ない、午後九時半までには各町内へと帰還し神輿の組みつけを解く、

この時神輿の胴へ巻いておいた晒し木綿を、この年に懐妊した妻を持つ担ぎ手もしくは関係者者が拝受して行く、

この晒しを腹帯として使用すると安産で済むと伝えられているからである。その後慰労会を済ませ本 祭りは終了

となる。

同時に各町内の青年会正副会長は、組み合いとなった町内へと挨拶に向かい、一方外の副会長は神輿へ収められて

いた 八坂神社の御神体を、 八幡神社へと返納に向かい八坂社を参拝した後御神体を返納する。

その際、御神体と引き換えに八坂神社のお札を拝受されお札を会所へと持ち帰る。このお札は、翌日お供物と共に

町内の氏子へと配られる。

本祭り翌日は、町内くまなく張りめぐらされていた幣束・注耗の回収が行われ、終了後には区の役員・行司・

祭典委員・当番氏子らと共に、会所・町内神輿の片付けなどを行い、八幡神社能楽殿に安置して塵いた宮神輿を

青年会副会長二名が片付けに赴き全ての日程を終了する。

以上が、八坂神社例大祭と付け祭りについての大まかな経過であります。

なお、これを契機に少しでも皆様方には先人たちが残してくれた児玉夏祭り(祇園祭)について、知識を深め

また興味を持って戴けることとなりましたならば幸いに思います。

 

◎八坂神社例大祭付け祭り組織委員会について

児玉夏祭り(八坂神社例大祭付け祭り)には、各町内(八町)より神輿が市中を渡御し見物には大勢の人々が

集まることから、祭りを羞無く進行するために町では実行委員会を組織し運営を行っている。この組織内容に

付いては 以下の通りである。

会        長 商工会長(一名)

副   会   長 観光協会会長・文化財保護審議委員長(二名)

顧        問 町長・県議会議員(二名)

祭 典  委 員 幡神社宮司・氏子総代代表・各町内区長(十名)

進 行  委 員 八町内青年会会長(八名)

渉 外  委 員 八町内青年会会長(八名)

企画広報委員 商店奉仕会会長・商工会商業部長・役場農林商工課課長・同係長(四名)

神社関係役員 八町内氏子総代(八名)・行司(各町内によって人数不定数)

 

○八町名及び各青年会名称

長浜町(長青会)・鍛治町(新誠会)・上町(昭和会)・仲町(仲正会)新町(新和会)・連雀町(連誠会)

・本町(誠交会)・下町(八千代会)なお各青年会は、基本的には二十より四十五歳までの会員にて構成される。

現在例大祭と付け祭りには、各八町内の祭典委員と進行委員が中心となって活動し、各々の委員の内より

代表一名が祭典委員長と進行委員長(連合青年会長)に就任する。この祭典委員長・進行委員長の役職は、

各八町内一年ごとの持ち回り制度「年番制」である。

活動内容については、祭典委員は各町内の関係者及び宮司・氏子凍代代表との連絡事項を行い祭典行事にあたる。

進行委員である各町内の青年会長は、各自の町内神輿の管轄及び進行に専念する。

特に進行委員代表である連合青年会長は、各八町内の神輿と進行の統括をする総代表である。

 

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